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「ゴースト・ワールド」

映画でこんなに笑って泣いたのは久しぶりだ。もしかして、「リロ&スティッチ」以来か?「ゴーストワールド」(Ghost World: 2001年米公開)。ヤバイ。自分のツボに直球。おもしろいけどグサッときて、イタイけどおかしくてたまらない。

***以下ネタバレ***

高校を出てぶらぶらしてる女の子が主人公。原作はアメコミ。まさかこの年になって、10代の子の話にリアルタイムで共感してしまうとはトホホな限りだが、これでも最初はかなり冷めた目で観てたのよ、ほんと。サブカルチャーとか興味ないし、主人公イーニドの奇天烈ファッションもインテリアも正直どうでもいいし。

冒頭から親友のレベッカとつるんで世の中にぶーたれてるイーニド、若いな、というより幼いね、と笑う大人の私。ダサい卒業式。心底イヤなら行かなきゃいいのだ。わざわざ出席して周りをバカにするこの子たちは、結局その場にいることが楽しいの。世の中をヒンヤリ見てる自分たちが好きなだけ。そんな式くらいで過剰反応していたら、この先さむいことだらけで凍えるぞ。近所のカフェに入り浸っては変な客を観察し、新聞の出会い系広告に冷やかしの電話をして、騙されてやってきた中年男を尾行するふたり。つくづく暇だねぇあんたたち、て感じである。

しかし、この中年男が登場した瞬間、映画から目が離せなくなる。だってこの男、ケチリーさん(笑)ことスティーヴ・ブシェミなのだ。(ケチリーさん知らない人は「ホーム・オン・ザ・レンジ」観ましょう。)ダサい緑のカーディガン姿でダイナーに現れ、イライラと特大ミルクシェイクを飲み干し、待ちぼうけを食ったあげく落胆して去っていくブシェミ氏。反則

さて、このシケた中年男シーモアに、イーニドちゃんはなぜかシンパシーを感じてつきまとうようになり、社会に適応し始めた現実的なレベッカとは疎遠になっていくのだが…。(どうでもいいが、名前を知ったイーニドたちが“シーモアだって!?わぉぅ(笑)”て反応する意味がよくわからんかった。変な名前なのか?自分の頭の中では「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」の“Suddenly Seymourrrr♪”が鳴り響いてひとりウケ。)

シーモアって原作コミックには登場しないそうなんだが、かなりキテるキャラクターだ。表向きはまっとうな会社員、常識ある大人でありながら、めちゃくちゃマニアックな古いレコードのコレクター。趣味の世界で自己完結したような部屋に住んでて、人付き合いが嫌いなクセに、好きな音楽の話になると相手が引きまくってるのにも気がつかず熱くまくしたててしまう。ああ、情けないけど笑えない。「人と関わるかわりに物を集めて生活を満たしてる」とか「ナイキとビッグマックでハッピーになれる世の中の連中とは99%うまくやっていけない」とかいう彼の発言に、どこかで共感できちゃう自分が笑えない。いやでも、身につまされた大人はきっと多いはず。

それでもって、演じているのがブシェミっていうのがやっぱり微妙で。役的にはもっとキモ系中年オタクって感じのヴィジュアルでもいい気がするのに、ブシェミだから、もう少しどうにかすればマトモにもなれるのに…と哀しくなるのだ。イーニドのスケッチブックの中でだけ、そんなレコード男がどんどん格好良くなっていくのが笑えたけど。それにしてもシーモア、というかブシェミさんよ、いくらなんでも10代の子と寝ちゃだめだろう…。(迂闊にもそんなシーンで、生まれて初めてブシェミかっこいいと思ってしまった自分がイタすぎて泣く。)ブシェミ史上最高においしい役っぽい。

で、いろいろあって、変わっていくレベッカやシーモアの姿に疎外感を覚えるイーニド。後半の展開はどんどん切なくなって、泣かせる。独りぼっちになってようやく、今まで嫌っていた世間の方に歩み寄ろうとすると、向こうからことごとく締め出されてしまう。居場所がない。世の中みんなバカに思えてしょうがなくって、私は違うからと優越感を持っていたけど、実はどこかでそんな世の中に認められたかった自分。それに気づいても、やっぱり馴染めない。切ない。

極めつけは、何があっても変わるはずないと思っていた最後の砦が崩れた時。思い出すだけで泣けるので、具体的には書けない。心の拠りどころをすべて失ったイーニドは、来るはずのないバスに乗って街を出て行く。映画はそこでふっつりと終わる。彼女の乗ったバスをカメラで追いかけることすらしない。でも、これはハッピーエンドなのだ。寂しいハッピーエンド。「ある日突然、誰にも告げずにどこかへ消えちゃう」っていう夢を叶えたんだね、イーニド。自分の居場所を求めて、ここではないどこかへ…永遠のアメリカンドリームじゃないか。

結末の解釈は、“ゴーストワールド”というタイトルのとらえ方によっても分かれるかもしれない。イーニドは空虚なゴーストワールドを出て自分の生きる場所に向かったのだ、と考えるか、現実に背を向けてゴーストワールドに行ってしまったのだ、と考えるか。自分の考えでは、どっちもありかも。ナイキやマックで満たされた世の中も、シーモアの閉ざされた世界も、傍から見たらゴーストワールド。だから、あの結末は、さんざん周囲を振り回したイーニドが「ねえそれで、あんたのいる世界はどうなの?ゴーストワールドじゃないの?」と疑問を突きつけて去っていったみたいな気がするのだ。うーん、やっぱり切ないか。

しかし切ないといえば最大に切なかったのは、しばらく見なかったら昔の面影はどこへやら、のブラッド・レンフロくん。冴えないコンビニ店員役がこんなに似合ってしまうなんて…あああ、なんともやりきれなかった。
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映画「ゴーストワールド」

原題:GHOST WORLD  -ダメに生きる- イーニド(ソーラ・バーチ)とレベッカ(スカーレット・ヨハンセン)は、出会い系の広告に載っていた中年男のシーモア(スティーブ・ブシェミ)を呼び出し、待ちぼうけを食っている《・・・この悲哀、身に覚えがあるような・・・》惨めな姿

  • 2005/08/21(日) 15:56:25 |
  • 茸茶の想い ∞ ~祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり~
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