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「サン・ジャックへの道」

サン・ジャックへの道」(Saint Jacques...La Mecque:2005年仏)を観た。

何も期待しないで観に行ってたなら、おもしろくて素直に驚いたはず。だけど、コリーヌ・セロー監督の作品だから。「女はみんな生きている」の破天荒でパワフルで爽快な作風を最初から期待していた身としては、まあまあでしたね、と若干エラソーな感想になってしまったり。

冒頭のてきぱきした語り口が流石。仲の悪い中年の三兄妹弟が、母親の遺産相続のため、嫌々ながら一緒に巡礼の旅に出る。という状況を提示するのに、面倒な細かい説明は一切なし。それぞれの言い分が一方的にぶちまけられて、たった数分で、状況だけでなくクセの強ーい三人のキャラまでが手に取るように判ってしまう。(クラピッシュの映画でよく見かけるあの人が、だらしないアル中でハマリ役。)一緒に巡礼に出る仲間も、ワケありの面々だから、群像劇でもすぐに誰が誰だか把握できる。

なのに、旅が始まると、どうも話がダレてくる。巡礼している当人たちが乗り気なしでいがみ合ってるんだから、観ている方もダルくなるのは当然といえば当然なんだけど。せっかくの壮大な景色も、ぶーたれた巡礼者たちの視点で見ているせいか、単調で息苦しい。ひたすら野山、岩、牛、羊…動物出てきても、全然心が弾まないのよ。むしろ、田舎道で携帯!携帯の電波が!とそればっかり気にしてしまう心境がよく分かる。なんかこれって、いかにも病んだ現代人を批判されてる感じで、あんまりいい気持ちしないんだよね。各人の病んだ心を表すように挿入される夢のシーンも、シュールさが狙いすぎな感じでちょっとひいてしまう。

そう、いまひとつ気持ちがノレないのは、最初からこの監督の言いたいことと、展開が見えちゃうせいでもあった。険悪な三人の関係が一緒に旅をしていくうちに改善されていき、大自然の中で人間性を回復して…って、そういう展開にしかなりようがないもんね。他の巡礼者たちにしても、抱えてる事情が解りやすいから、こいつとこいつが近づいて、こういう関係になって…と大体読めちゃう。さらに、「イスラム教もキリスト教も、根本的に大した違いはないやねー」というメッセージ。こういってはなんだけど、最近のヨーロッパ映画ではもはや当たり前というかお約束的な気がしない?

とはいえ。後半になって思った通りの展開になってくると、悪い気はしない。これはやっぱり、語り口の上手さでしょうか。わざとらしい美談にはしない、という。例えば、仲の悪かった兄妹は、関係が変化していっても、容易に語り合うようにはならない。アル中の人は、巡礼の旅くらいでお酒を断つことはできない。そのへんの微妙なさじ加減。眠れなくてブチ切れて皆でヤケ踊りするような、おバカ加減。それからおもしろかったのは、ストイックに旅することが賞賛されているわけでもなかったこと。後半、事情により豪華なホテルに泊まるシーンが出てくるが、そこでほっと喜ぶ彼らの姿は否定されたりしない。贅沢を楽しむことが悪いってわけじゃないんだよ、と。

実際、後半になって巡礼の足取りが軽くなると、映画のトーンも軽快になっていく。単純に歩き慣れてきたから、もあるかもしれないが、旅の性質が、ただひたすら辿り着くために歩くことから、道中を楽しむものに変わっていったような。そう考えると前半のダレた単調な雰囲気も、計算済みの部分だったのかな、という気がしてくる。映画として、中だるみを許すって相当リスキーな計算だと思うけど。

映画としても旅としてもゴールが見えてくると、これ、最終地点まで行く必要はないんじゃないかなと思えてくる。辿り着くこと自体が重要なわけじゃないし、その前のところで終わらせちゃった方が、作品として尖った印象になるし。でも、映画は巡礼の旅を最後まで見せてくれて、その上ベタなオマケまである。ちょっとサービスしすぎかな、という気もするけれど、おかげで後味はとてもいい。なんだか、辛口だと思って買ったワインが意外と口当たりが良くて、でもまあこれはこれでよかったかな、みたいな。

イビキの三人組に乾杯。
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