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Storytellers Cafe

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「明日へのチケット」

エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチ共同監督「明日へのチケット」(Tickets: 2005年伊・英)を観た。

パルムドール受賞3大巨匠による奇跡のコラボレーション、という宣伝文句だけで敷居が高そうで構えてしまうが、実際は口当たり良く肩の凝らない作品だった。なーんかええもん観させてもらいました。

共同監督とはいっても、実質オムニバス作品。ただ、各エピソードにタイトルが入って分断されるようなことはなく、どの話もシチュエーションは列車の中で同じ乗客や車掌が登場する、という緩いつながりで1つの作品になっています。この形式がよかった。なんか、有名どころの監督を揃えたオムニバスとか短編集っていうと、どうしても監督カタログみたいな雰囲気が出てきて、観ている方もつい品評会みたいな気分でエラソーにランク付けしたくなったりしてしまうもんね。その点、こういう遊び心のある企画っていいな。巨匠ならではの余裕かもしれないが、変に肩に力が入ることなく、楽しんで作ったよ、という印象だった。

各パートには各監督の個性が強く出ているのに、それが作品のまとまりを壊すことにはならなくて、バランスがいい。第一部、映画的言語で語りかけてくるようなオルミのパートで観客を映画の世界に誘い込んで、中だるみになりがちな第二部に緊張感溢れるキアロスタミのパートを持ってきて、明快で爽やかなケン・ローチのパートで後味良く終える。この順番が重要だったかも。もちろんそれぞれのパートはそれだけで充分におもしろいのだけれど、最初がケン・ローチだったら映画に深く入り込めなかった気がするし、真ん中にオルミが来てたらちょっとウトウトしちゃったかもしれないし、最後がキアロスタミだったら、ハラハラしすぎて気持ちがヘロヘロのまま映画館を後にする羽目になってそうだ。

どのエピソードも、特に劇的なことが起こるわけじゃない。列車の中の人間関係を観察することによって見えてくる、日常のちょっとしたドラマ。1つの目的地に向かう列車でも、乗客の目的は人それぞれ。乗客の数だけ、それぞれが抱えている物語があるんだね。普通は、互いに知られることないまま列車を降りて終わってしまうもの。でも、ちょっとしたきっかけで乗客同士が接触すると。それぞれが抱えていた物語がほんの少し相手に伝わって、そこに新しい物語が生まれる。自分と全く違う誰かと関わることによって初めて、みんな自分にとっての大事なチケットを手に入れることができるんだね。

**以下、ネタバレあり**


ひとつだけ残念だったのは、第一部と第三部が同じアルバニア難民オチだったこと。作品に一貫性を持たせるための工夫でもあるんだろうけど、第三部でケン・ローチが思い切りこれを主題に持ってくるなら、第一部の教授が最後にとる行動は、誰か別の人に向けたものであってほしかったな。なんかこれだと、慈善の対象=難民、という一方的な感じがしないでもないし、あのアルバニア人一家、こんなに人に親切にされておいて盗みかよ、という悪い印象も持たれかねない。

特にローチさんの話は、一歩間違えれば独善的で説教くさくなってしまうものだしね。そうならないで済んだのは、難民一家と接するセルティックファン三人組があまりにおバカであるという一点につきるんだけど。(同様に、オルミさんの話の教授も、夢想家っていうか妄想入ってる人がやっと小さな行動に出るから微笑ましいんだよな。)実を言うと、イギリスのバカモノサポーターと難民少年っていう組み合わせは、ジャスミン・ディズダー監督の「ビューティフル・ピープル」(1999年英)を思い出させて、あまり新鮮さは感じなかった。あっちの方がより強烈な設定で、しかも難民側の立場の人が描いていたわけだし。でも、ローチさんのボンクラ兄ちゃんたちだからこそ、観ている側に突きつけられるリアリティというのも、またあるわけで。実際、自分があの三人組の立場だったらどうすると思う?と考えると、正直なところ私はまだ答えが出せないんだよね。

異なるバックグラウンドを抱えた人間同士が出会う。地続きの大陸ならではの感覚。ヨーロッパの列車の旅っておもしろいだろうな、と思う。だけど、小心者の自分じゃ、予約した席にあんなオバチャンが座っていたら対処できないわ…無理だ。キアロスタミさんのあのオバチャン、作品中最も強烈な存在でした。それから、イタリアの携帯は10年使えるらしいこと(あのオバチャンなら壊れても無料で修理させてそうだが)、スコットランドのスーパーのサンドイッチは本当に不味そうなこと(ハムとマンゴー…)も印象的でした…。
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American Dog -あるいは裏切りという目に遭った犬

Once upon a time...
一匹のキュートなワンちゃんがいました。このワンちゃんを育ててくれた“オハナ”は、ちょっぴり変わり者のおじさんです。おじさんは、ワンちゃんがお友達のウサちゃんやニャンコと一緒に繰り広げた風変わりな冒険を元に映画を作っていました。ところがある日、見知らぬ男たちが侵入してきて、ワンちゃんは無理やりおじさんから引き離され、どこかへ連れて行かれてしまいました。おじさんとはもう二度と会えません。いつの間にか、お友達のウサちゃんやニャンコも消えてしまいました。そして気がつくと、ワンちゃんは、もう以前のキュートな丸顔のワンちゃんではなくなっていました…


クリス・サンダースがとうとうディズニーを辞めたそうだ。

情報元がVarietyとかJimHillMediaくらいしかないので事実確認はできないけど(といっても、この手のニュースで公式の発表なんていつもないよね)、“American Dog”監督降板の当然の結果でしょう。正直なところ、私は昨年12月の降板騒ぎ自体、今月に入ってようやく知った次第なんだけど、人の好さそうなクリスでも怒って辞めて当然の状況と思ったよ。私なんか知った直後は、思わずジョン・ウォーターズの「セシルB ザ・シネマ・ウォーズ」みたいな映画テロ集団に入ってD社を襲撃したくなったもんね。腕に“C. Sanders”ってタトゥー入れて。

冗談はさておき。事の次第は、(これも公式な筋の発表などないので)12月19日付のJim Hillや2月17日時点でのWikipediaを参考にまとめると、こんな感じ。昨年のディズニーのピクサー買収によって問題化した、WDFAとピクサーとの社内競合。これを解決すべく、アニメーション事業のトップに立つピクサーのジョン・ラセターとエド・キャットマルは、WDFAで製作中のCG作品の見直しに乗り出したわけ。(もはやお約束のように易々と行われるWDFAのスタッフ大量解雇も伴って。)ほとんど完成しちゃってる「ルイスと未来泥棒」は不本意でもこのまま公開するしかない。まだ初期段階だった「ラプンツェル(仮)」は、手描きアニメーションに変更させることに。問題は、製作がかなり進んでいて2008年の公開も決定済みの「アメリカン・ドッグ(仮)」。製作を中断させて揉めた結果、とりあえずはCGのままで進める方向になったものの、ラセターとキャットマルは作品の内容に大幅な変更を求めてきた。当然、原案からの生みの親である監督クリス・サンダースには了承できない。結果、クリス・サンダースは降板、新監督にはサンダースの元ストーリーボード仲間のクリス・ウィリアムスが抜擢され、ストーリーもキャラクターも大幅に書き直されることになった。巨大なウサギや眼帯をしたネコなどの奇抜なキャラクターは削除、主役の犬はヒーロー的なルックスに変更、ストーリーからは風変わりなテイストが一掃され…。

驚くことではないのかもしれない。ピクサー買収の時点でこのブログにも書いた通り、こういうことになる予想はできたもんね。だからといって、ほら言った通りじゃんと威張りたい気分にはとてもなれないよ。嫌な予感が最悪の形で現実になってしまったんだから。

映画産業も産業である以上、ビジネスとして儲けを考えないといけない側面があることは否定しない。映画会社の意向で監督の交代が行われるのも、商業映画の世界では珍しくない話。でもそれが、ひとりのアーティストのアイデアから生まれ、彼が仲間と一緒に育ててきたプロジェクトだった場合は?会社の都合で奪って作り変えて当然という傲慢さはどうなんだろう。

そもそも、猫も杓子もCGの時代に「リロ&スティッチ」で水彩画と手描きアニメーションの良さを訴えかけたクリスにとって、CG作品に取り組むことには葛藤もあったはず。それでも、WDFAに残りたかったらCGで作るしかないという状況で、苦心の末、CGを活かして自分の世界を表現することに成功した。その矢先、WDFAではCG作品はもう作らないからお前は要らないと放り出される。自分が生み、結果的に会社に莫大な利益をもたらしたLilo & Stitch と、何年も取り組んできたAmerican Dogのすべての権利を会社にとられたまま。これが理不尽な仕打ちじゃなくて何だっていうんだ?クリス、辞めて当然だよ。

私もとうとうディズニーと決別する時が来た。これまでもディズニーに見切りをつけたくなったことはあったけど(フロリダスタジオ閉鎖とかピクサー買収の時とか)、その度に思いとどまらせていたのは、逆境でも細々と独自のアニメーションを作り続けているWDFAの存在だった。そういうWDFAが好きだったから。でも、もはやWDFAが独自性を保つことが許されなくなった今、あの会社には何も見出せない。本当のファンなら、こんな時こそWDFAの行く末を見守って、応援し続けるべきなのかもしれない。でも私には無理。もうたくさん。

オーケー、仮にクリス・ウィリアムスと残されたクルーのがんばりによって「アメリカン・ドッグ(仮)」が2008年の公開にこぎつけたとしよう。ピクサー流・健全な万人受けテイストに染め上げられた作品は興行的にまずまずの成功、その後のWDFAは手描きのアニメーションに専念するスタジオに生まれ変わり、“昔ながらの”ディズニー映画ファンも満足。この偉業を成し遂げたラセターはますますヒーローとして崇められる存在になりました。めでたしめでたし。

こんなの、正直我慢ならない。もう関わりたくないね。さよならディズニー。

この先、クリスはどうするんだろう。狭い世界だから、ドリームワークスに引っ張られるか、ジョン・マスカー&ロン・クレメンツみたいに結局ディズニーに出戻りになっちゃうのかな。無理な希望かもしれないけど、できることなら大手の会社とは縁を切って映画作りを続けてほしい。独自のテイストを持つアニメーション監督が自由に作れる環境が、どこかにあればいいんだけど。そういえば、クリス&ディーンで立ち上げたとかいうStormcoast Picturesはどうなったんだろう。ああ、私がビル・ゲイツだったら、今すぐ彼らのスポンサーになって好きなだけ好きなように映画を作ってもらうのに。私にできることと言ったら、悲しいことに、いまや幻となってしまった作品について語ることくらいだ。

Once upon a time...

From Heaven into Hell

Gogol Bordelloがついに来日するみたいですね。Flogging Mollyのお供だそうで。ついでにお友だちのKultur Shockあたりも連れてきてくれたらいいのにー。(知らなかったけど、ジノさんとユージーン・ハッツが仲いいらしい。)

さて、今日の話はそんな人たちとは関係ないけれど、ジャンル不明であることには変わらないRevelling Crooksっていう人たちのアルバム“From Heaven into Hell”。ジャケットには“クレズマー・カントリー・バルカン・フォーク”とありますが、この時点でよーわかりません。裏面には“ルーツ音楽とパンク、スカ、ロックの融合”などと、どこかで聞いたことあるような、この手の素性のわからん音楽にありがちなことが書いてありますが、その言葉からイメージするものとは結構違ったよ。

なんつーか、ひょろひろほろーっとした音なんですね。力抜けそうな感じで。ボーカルとかも、腹から声出してないやろ、という感じが新鮮です。普段暑っ苦しいのばっか聴いてるからね。たまにはこんなのも。なんか、古い街の広場の片隅で、曇天の下、へらへら笑いながら演奏してそうなイメージ。

公式サイトがドイツ語で読めないもんで、バックグラウンドは全くわからないけど、わりと生真面目にルーツ音楽と付き合ってる人たちとお見受けしました。生楽器ばかりの8人編成。ジプシー、アイリッシュ、バルカン、カントリー、マカロニウエスタンとひと通りこなしてるけど、あまりハイブリッド的なことは考えてない気がする。一曲一曲、几帳面に解説をつけているあたりに、お育ちの良さそうな雰囲気が漂ってます。

頼りなさげな音なのに踊れるところがまたいいんですね。特に、私はアイリッシュって苦手だと思ってたんですが(ポーグスとか。Flogging Mollyもそうか。)この人たちのはツボにはまったな。薄くて軽い感じがかえっていいんでしょうか。薄いけど、噛めば噛むほど味が出てくるみたいなところがクセになりそう。アレンジもうまい。「黒猫・白猫」の“テントウムシ”のカバーとかもしてますが、非常に楽しいです。

なんかドイツビールが飲みたい…。


From Heaven into Hell From Heaven into Hell
Revelling Crooks (2006/04/16)
Weltwunder

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