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Storytellers Cafe

GYPSY PUNKS

そろそろGogolの話でもしましょうかね。

ここ数ヶ月、飽きもせず聴き込んでいるGogol Bordello(カタカナ表記に自信なし。ゴーゴル・ボーデロというのが一般的みたいだけど、ゴーゴル・ボルデーロと呼びたい感じ)。最初に聴いたのが、去年出た最新アルバム“Gypsy Punks: Underdog World Strike”でした。その後、99年まで遡ってひととおり聴いたんだけど、正直、初期のはいまひとつ。去年の“East Infection”から急に勢いがよくなって、最新作がやっぱり一番好き。いいよーこれ。

Gogolのサウンドを言葉で説明すると、まあ、ジプシー+パンク、というそのまんましか言えないんだけど。聴けばたぶん納得。初期はどっちかつーと東欧の民謡みたいな感じが強かったかな。“Gypsy Punks”では、ラテンとかが入ってきちゃって、かなりゴキゲンなミクスチャーになっています。ラテン系の“60 Revolutions”や“Oh No”なんか、始まった瞬間、1. 踊る 2. 踊る 3. 踊る と、それ以外の選択肢が見つからない。たのしすぎ。「僕の大事なコレクション」のエンディングに使われた“Start Wearing Purple”は、元々は初期の曲なんだけど、このアルバムに新しいバージョンの方が収録されてます。個人的には、なんでこの曲が使われたのか分からないんだけど。“Illumination”か“Undestructable”の方がしっくりくるような。とにかく“Undestructable”は名曲だね。

バンドメンバーのバックグラウンドがまた素敵です。活動拠点はNYなんだけど、ほとんどが東欧出身の移民らしい。ボーカルのユージーン・ハッツ(DJハッツ)はロマ系で、ヨーロッパを転々としてウクライナに落ち着いた後、チェルノブイリの事故に遭ったりなんかして最終的に難民としてアメリカに入ってきたというおもしろい経歴の持ち主で、そういう生い立ちを反映させた歌が多い。そのわりに、歌詞はそれほどインパクトないっていうか、私の好みからするとちょっと一本調子かなーという気はするけど。私みたいに、つい冷めた目で見てしまう嫌な大人になっちまった人間にはストレートすぎて、感覚が若いなぁと(一応、私よりかなり年上だけどさ。見た目も若いんだなこの人)。若い世代に向かって歌ってる感じ。

個人的にはこのユージーン・ハッツという人がどうも苦手で仕方がないんだけど、歌とか音楽性は気持ちいいほどツボ。歌ってる時はほぼ狂人だけど、インタビューとかを読むと、かなり頭が切れる印象です。まあ、頭良くなきゃこんなことできないんだよね。ライヴは凄そう。Gogolの公式サイト(内容濃いんだけど、重くてなんとも見る気をそがれるサイト)にもビデオクリップがいくつか出てるけど、ロシアのサーカスかアングラ芝居って感じで。奇天烈な格好の姐さんたちが妖しく踊ってるあたりは、懐かしのレニングラード・カウボーイズを思い出します。そういえば初期Gogolの曲調はちょっとレニグラ入ってたかも。

Gogolとは別に、J.U.F.というDJハッツの別プロジェクトみたいなのもあるんだけど、こっちはジプシー+バルカン+打ち込み系で、個人的にはそんなに好きじゃないけど、軽く聴けるのでBGMにはいい感じ。なんか同じくNYでBalkan Beat Box公式サイト、いきなりうるさい)っつー似たようなのがあったような?と思ったら、これまさに、元GogolとJ.U.F.のメンバーが率いてるバンドだったらしくて納得したよ。つながってるもんだなぁ。

元々、私がGogolを聴き始めたきっかけはといえば、「僕コレ」でもBBBでもレニグラでもなく、ヨーロッパの音楽系サイトで「アメリカ版ノー・スモーキング・オーケストラがヨーロッパ上陸!」などと紹介されてたからだったんですけどね。ノー・スモーキング贔屓としては聞き捨てならず、アメリカでアレは絶対ないだろーと半信半疑で聴いてみて、案の定、ち、ちがうべー!これはだいぶちがうべー!とつっこんだわけなんですが。でもこれはこれでいいね、とすんなりはまってしまったのでした(笑) Amazon.comでNo Smoking Orchestraと検索すると“こちらもお奨め”でGogolが出てくるし、NSO好きならGogolはイケるっていうのは言えるかもしれません。その逆はあんまり当てはまらないだろうけど。

Gypsy Punks Underdog World Strike Gypsy Punks Underdog World Strike
Gogol Bordello (2005/08/09)
USA Side 1 Dummy

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「ブロークン・フラワーズ」

ジム・ジャームッシュ監督の「ブロークン・フラワーズ」(Broken Flowers: 2005年米)を観た。

ジャームッシュの映画を観ていると、無性にミネラルウォーターが飲みたくなる。普段は飲まない硬質のやつ。たぶん、海外旅行をしているような感覚になって、海外に行った時にだけ飲むものを思い出すからなんだけど。それは、映像がきれいだとかロードムービー感覚だとかいう意味だけではなくて、旅行くらいでしか体験することのない“疎外感”のようなものが感じられるということ。人の日常を、よそ者として眺めているような感覚。ジャームッシュ自身が自分を映画界の“アウトロー”と位置づけていることにも、関係あるかもしれない。

今回の主人公は、自分の家の中にいてもまるでよその国にいるような、自分自身の人生に対して疎外感を感じている男。コンピュータ事業で成功して悠々自適な暮らしができる身分だけれど、一度も家庭を持たないまま年老いてしまった元プレイボーイ。名前はドン・ファンならぬドン・ジョンソンジョンストンで、演じているのはビル・マーレイ、しかも常に黒ジャージ姿(赤ジャージじゃないのがせめてもの救いか?)ときたら、もうこれ反則技でしょう。所在なさげで妙に哀愁を漂わせた無気力なおっさん。その一挙一動がおもしろい、おもしろすぎる。ビル・マーレイをキャスティングした時点で、この映画の大半は出来上がっちゃったも同然だったんじゃない?

そんなおっさんのところに、謎の女性からピンクの封筒に入った手紙が届く。「あなたには19歳になる息子がいる」という。このミステリーに飛びついた隣人が、ドンを過去の恋人を訪ねる旅へと送り出す。おせっかいな隣人役のジェフリー・ライトが、また笑わせてくれた。手紙をご丁寧に虫眼鏡で調べ、エチオピアなまり?の英語で消印がどうのタイプライターの型がどうのとホームズごっこを始める姿に、ニヤニヤが止まらない。

ジャームッシュの全作品を観ているわけじゃないのではっきりとは言えないけど、今までなんとなく、スカした映画を撮る人というイメージがあった。今回はとても打ち解けた感じの笑いが目立つ。猫もかわいかったし。馬のぬいぐるみも笑えたし。音楽もよかったし。豪華な女優陣にはあまり興味が持てなかったけど。昔の恋人に再会した時の気まずさ、ぎこちなさが絶妙な“間”で語られるのがなんとも可笑しい。ちょっとしたきっかけで、自分の過ごしてきた時間とか人とのつながりとか、振り返ってみて、自分の立っている場所に気づいたり。物哀しいような、新鮮なような、そんな瞬間をそっけなく切り取ってみせるセンスの良さ。

観ている間よりも、観終わった後にじわじわ味が出てくる。さすがに、映画の登場人物たちに共感するほどの年齢にはまだまだ至らないけれど、少しだけ自分の人生を新しい目で見てみたい気持ちになった。きっと、見逃していたピンク色のものってたくさんあるんだよね。

Blog2年目

サムイマさん、7周年おめでとうございますー。7年。すごいですネほんと。

そういえば、うち、サイト2周年ですか…。正直、何も考えてなかった。かれこれ1年近く完全凍結させてますからね…。分家のリロスティも凍結状態だし、ましてや某オリビ…(もはや声に出せず)なんて放置しすぎてて開くのも怖いです。更新しようにもやり方覚えてなかったりして。我ながらひどいわ。

いまさら言うのもあれですが、この先も更新はないと思われます。だから、サイトをきっちり閉じてBlogだけにするべきかもしれないんですけど。まあ、今まで無駄に積み上げてきたあれこれが、何かの拍子にひょっとするとお役に立つこともあるかもしれないし、正直「もったいない」という気持ちがあるので、残させていただいてます。(って、サイトに明記すべきだよなぁ。ま、そのうち…。)あ、本家は、気力と時間ができたら更新するかも。「チキン・リトル」とかありますしね。

気がつけば後ろ向きな「つぶやき」ばっかりだなぁ。なーんか発展的な話題はないものか。

あ!そうだ。先日ついに、我が家にTVという文明の機器がやってきました!!

…本気よこれ。元から進んでTVをつけるという習慣がなかったもんで、引越し時にTVを買うのを後回しにしたらそれっきり。かれこれ2年以上TVなしの生活が普通に続いちゃって、この先も要らんわ、という気でいたんですけどね。なんかこの頃、家にTVがないと言っただけで人からエイリアンの実験体でも見るような目で見られたり、「昭和の人」とか、「街頭テレビ」「力道山!力道山!」とかバカにされる(その発想が出てくる方がヤバくねーか?)ことに疲れてしまって、とうとう長いものに巻かれてしまったのねん。

まあ実際のところは、最近、地上デジタル非対応のブラウン管が激安だから、一台買っとけば今までTVがないばっかりに使えなかったR1用DVDプレイヤーが活かせるじゃん、と思って(R2のDVDはノートPCで見ていたので)、いまさら時代遅れのテレビデオを買ったわけなのよ。

しかし、届いてみて思ったんだけど、ブラウン管はやっぱり無駄にでかい。しかも、買ってきたアンテナケーブルをつなげたら長さが足りなくて思っていた場所に置けず、面倒くさくなってケーブル外したまま放置…。そんなん、さっさとケーブル買い換えればいいだけなんだけど、まあTVが映らなくてもDVDやビデオは見れるし、なんて。結局、TVが場所とるだけのオブジェと化している、どうでもよすぎる近況でした。

本日のBGM:“I Would Never Wanna Be Young Again” by Gogol Bordello
…いや、私はできることならもっと若い頃に戻りたいですけど(笑)

「ニュー・ワールド」

“実写版ポカホンタス”こと、「ニュー・ワールド」(The New World:2005年米)を観てきた。微妙。なんとなく納得できないというか、ざわざわした気持ちが残る。

この映画について、「長すぎ」とか「トロい」とか「退屈」とか文句をつけるのは野暮なんだろう。そういうのは、監督のテイストが自分に合わなかっただけなのだから諦めるしかない。諦めて腰を据えて、テレンス・マリック監督の素晴らしい映像美を堪能すればいいんでしょ?(それにしても、たった135分とは思えないほど長くて辛かったけど…。)

だけど、どうも割り切れなかった。映画化を知った時から抱いてきた、なぜ今、ポカホンタス?という疑問に対する答えが見つからなかったからかな。確かに、ヴァージニア州の大自然は絵になるけど、対立の中で許されぬ恋に落ちる恋人たちも絵になるけど、現代の視点から見てあまりにもいろんな問題意識を呼び起こすポカホンタスという題材で、それだけってことはないじゃん。別に、映画に明確なメッセージが必要だとは思わない。(むしろ、監督の主張を押しつけてくる映画ってウザいし。)でも、ただの美しい風景画よりは、その奥にある心を見たい。その風景を、“美しい”で片付けていいのか疑問に思う場合は特に。

ストーリーは、まあこんなもんだろうな、という感じ。ポカホンタス伝説に全くなじみがなければへぇーと思えるかもしれないが、お約束の説をそのまま、さらっとなぞっただけの印象。前半はジョン・スミス視点。後半はジョン・ロルフ視点。合間にポカホンタスの視点も入るけれど、ご都合主義的でしっかりした人物像になるには至らず、結局彼女は入植者側によって描かれた対象でしかないのだな、と思う。良くも悪くも無難なまとめ方。ポカホンタスに関しては、時代が古すぎて“史実に忠実”なんてあり得ないわけだし、そもそも歴史的な題材を“公平に”描くことなんて不可能で、映画作品に要求されることじゃない。いっそ、意図的に偏った視点で大胆な解釈をした方がおもしろいのに。

登場人物の視点の定まらなさ(&カメラの定まらなさ)は、そこに第三者の視点が存在しているかのよう。観ているうちに、それは“神”か?という気がしてくる。だとしたら、ポカホンタスの信じる“グレートスピリット”には当てはまらない、狭い定義の神様だ。ポカホンタスがジョン・スミスのことを「この人は神?」というシーンが何度か出てきて、おいおいそりゃあないだろ、とひどく気になった。その神の概念自体が西洋的だから、あり得ない。ポカホンタスとスミスとの交流シーンでも、ポカホンタスはスミスの言った単語を繰り返してみせるのに、スミスは一方的に英語を教えるだけ。こういうところが傲慢に思える。結局、“ニュー・ワールド”はスミスやロルフにとっての新世界でしかないのだ。そうすると、ここに描かれる衝突は異文化間のものではなく、文明vs自然という時代遅れの二項対立なんじゃないか?という嫌な予感までしてくる。

ポカホンタスとスミスとの恋愛模様も、なんかしっくりこなかった。恋愛観が当たり前のように西洋的だからかも。個人的には、ふたりのロマンスなんてスミスの作り話だと解釈しているのだけれど、もしそれが現実にあったのだとしたら、もっと本能的な感覚に基づいているものだった気がする。恋愛シーンで流れる音楽が、既成のクラシックというのも場違いな感じ。それと、年齢差がやっぱりね…。15歳のあどけないクオリアンカ・キルヒャーと、むさい髭面のコリン・ファレルとの恋愛って、やっぱり違和感があるんだわ。後半に出てくるジョン・ロルフが、また都合よく描かれた男って感じだし。

ちょっとおもしろかったのは、ロルフを演じているのがディズニーの「ポカホンタス」でトーマス役だったクリスチャン・ベールってことですね。さらにおもしろいことに、ポカホンタスの声を担当してヴィジュアル的にもモデルになったアイリーン・ベダードが、この作品ではポカホンタスの母親役になってる。偶然なのか知らないけど。主役のクオリアンカ・キルヒャー自身も、容姿はあのポカホンタスそのものって感じ。まあこれは、ディズニー版も今回のも同じ肖像画などを参考にしたからでしょう。スミスがコリン・ファレルっていうのも、キャラ的には合ってるかと。そうそう、個人的に気になっていたココアムさんらしき?役、影薄いけどちらっと出てきて、やっぱりあっさりお亡くなりに…。あと、こう言って通じる方も少ないかとは思いますが、ウタマトマッキン出てきたよ。このへん、個人的希望としてはWingapo!さんとかサムイマさんにツッこんでほしかったり。思いっきり「うぃんがぽー」って挨拶出てきたし。

いっそのこと、ポカホンタスがアライグマとハチドリ連れてるとかしゃべる柳が出てくるとか(笑)、ツッコミどころ満載のトンデモ映画だったらよかったのになぁ。

「僕の大事なコレクション」

僕の大事なコレクション」(Everything is Illuminated:2005年)を観てきた。祖父の残した写真を元に、アメリカからウクライナに旅して自分のルーツを見つけるユダヤ系の若者を描いたロードムービー。

公開2日目で休日だから混んでるの覚悟してたんだけど、座席の3分の1も埋まってなくてびっくり。アメリカのワーナー作品でイライジャ・ウッド主演だからメジャーだと思ってたんだけど、そうでもないんですかね。ぱっとしない邦題のせいかなぁ。なかなかいい映画だったのにもったいない。

なんでこの映画に興味があったかというと、最近お気に入りのバンドGogol Bordelloのボーカル、ユージーン・ハッツが出演してると知って。動いてるところ見たことなかったのでどんな奴かと思ってたんだけど、うーん、個人的にちょっと苦手なタイプだった…。歌は好きなんだけどねぇ。でも、長身でルックスは一般ウケしそうだし(普段は変な格好で変なヒゲはやしてるけどね)、役者としても人気出るんじゃないのかな。あの東欧なまり丸出しの英語が素だとすると、演じる役柄は限られてきそうだけど。今回は、役柄が素顔に近かったんだろうね。映画初出演にしてイライジャ・ウッドを完全に食ってた、というか、ユージーンの方が実質的な主役って感じでした。

挿入歌とエンドクレジットにもGogolの曲が使われてたし、他のメンバーもエキストラ出演していたとか。途中で出てきた駅で演奏してた奴らがそうだったのかな?このバンドについては、改めて語らなくちゃ。Gogolの曲以外も、音楽がかなりいい感じだったので、サントラCD買いたくなりました。

ただ、映像や話のテンポがしっくりこなくて、音楽だけが浮いてる感じは拭えず。舞台となるウクライナの大地はとてもきれいで、ひまわり畑が出てくるところなんかは「黒猫・白猫」かよ!と思ったけど。(そういや、ユージーンの後ろをロマ系?の楽団が演奏しながら追いかけてくるシーンもびびった。)そのわりに、地に足がついていないというか泥臭さが足りなくて、リアリティが感じられない。これが、アメリカ映画が外の世界を描く限界?正直、いまいちかも?と、けっこう冷めた目で見てしまった。

でも、話が佳境に入って、ようやく映画の言わんとしているところが解ってくると、納得。アメリカから来たイライジャも、都会っ子でアメリカかぶれのユージーンも、ウクライナの田舎の風景をよそ者として眺めていたのだから、土着の感覚がないのは当然なのだ。自分の過去をそこで発見するまでは。

ユージーンのじいちゃんの存在を通して、異なる世界で暮らすふたりが、共通のルーツを発見する。過去に照らし出されることによって、薄っぺらく感じられてきたふたりの人物像までもが、意味を持ってくる。ここまで、イライジャの役に生気が感じられないとか、展開がぎこちないとか、脚本がうまくないんじゃないかとか不満に思っていたのが、最後の方で一気に挽回しましたね。また、じいちゃんを演じたボリス・レスキンっていう人の演技が素晴らしくて。真の主役は、イライジャでもユージーンでもなくてこの人だったのかも。

ホロコースト、ディアスポラの歴史というテーマ自体は、特にアメリカ映画では目新しいものじゃないけど。それを現代に生きる若い世代へとつなげて、普遍的な物語に仕上げたところに共感を覚えた。過去と向き合うこと。記憶を語り継ぐこと。そして、ここにいる自分という存在を知ること。重い歴史を描きながらも、今を生きていくという前向きさが爽やかな映画でした。